「加藤一二三九段」は、将棋界初の中学生棋士としてデビューを果たしました。
今でこそ「ひふみん」の愛称で親しまれていますが、神武以来の天才と言われたほどの将棋の天才なのです。
ひふみんこと加藤一二三九段は、数々の伝説を持っております。
この記事では、加藤一二三九段の伝説と仰天エピソードをご紹介します。
- 加藤一二三とは
- 加藤一二三の伝説
- 仰天エピソード
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加藤一二三とは
- 名前:加藤一二三
- 生年月日:1940年1月1日
- 出身地:福岡県嘉麻市
- 師匠:鶴持松二九段
- プロ入り:14歳7か月
- タイトル獲得数:8期
- 愛称:ひふみん
加藤一二三九段は、14歳7か月でプロ入り後、62年間の現役生活を送り、77歳で現役を引退しました。
タイトル獲得数は8期で、A級在籍数は36期にも及びました。
加藤一二三伝説7選!
加藤一二三九段が残した伝説的な記録は、数えきれないほどあります。
将棋の実力は紛れもなく「神武以来の天才」にふさわしい強さです。
では、これまで加藤一二三九段が残した伝説を7つご紹介します。
伝説①史上初の中学生プロ棋士
加藤一二三九段の伝説は、史上初の中学生プロ棋士としてデビューしたことです。
通常、プロ棋士の多くは、高校を卒業してからプロ入りします。
しかし、加藤一二三九段は、当時中学2年生(14歳7カ月)でプロデビューを果たしたのです。
14歳7か月でプロ棋士になった記録は、藤井聡太棋士が2016年に14歳2カ月でプロデビューするまで破られなかった記録になります。
加藤一二三九段は1954年にプロになったため、62年間この記録を維持していたのです。
伝説②最年少勝利
加藤一二三は、1954年の14歳8カ月で公式戦で初勝利しました。
14歳8カ月で勝利の記録も藤井聡太棋士が記録を破るまで、62年間におよび維持されたのです。
プロデビューして1か月後には、早速勝利してしまうあたりがまさに伝説ですね。
最近では、藤井聡太棋士が七冠を達成し、あと1つタイトルを獲得すれば史上初の八冠達成になります。
そんな藤井聡太棋士の強さの秘訣をこちらの記事で書いておりますので、気になる方はこちらをご覧ください。
伝説③最年少でA級に昇級
加藤一二三は、1958年に18歳3カ月の最年少でA級に昇級しました。
この記録は、藤井聡太棋士も成し遂げられなかった記録です。
プロでは、C級からA級まであり、それぞれの級にも組が存在します。
C級2組から始まり、C級1組→B級2組→B級1組→A級といった形で昇級していきます。
もちろんですが、それぞれの組でいい成績を残さなければ上に上がれません。
それでも、ノンストップでA級まで上り詰めたのです。
すべて1期でA級まで上がったことから「神武以来の天才」と言われるようになったのです。
伝説④現役期間最長記録
加藤一二三九段は、現役期間の最長年数記録も持っています。
当時最年少記録である14歳7か月でプロ棋士になり、77歳5か月で引退をしました。
62年10か月も現役で活躍してきたこの記録は、歴代で1位の記録です。
1つの職業を62年間も続けることは、単純に凄いとしか言いようがないですね。
しかも、将棋の棋士という重圧や世間の注目などのプレッシャーを浴びながら続けてこれたのも、心の底から将棋が好きなんでしょう。
果たして、この現役期間最長記録を破る人はこれから現れるのか?
今後の将棋界に注目したいですね。
伝説⑤最多敗北記録
記録というと、タイトルを取ったり、何連勝をしたりという印象ですが、加藤一二三九段は、史上最多敗北記録も持っています。
つまり、誰よりも負けているということになります。
敗北数は、1180敗でこの記録ももちろん歴代1位です。
加藤一二三九段からは、挑戦し続けることの大切さを教えられますね。
伝説⑥還暦でもA級棋士
加藤一二三九段は、還暦を過ぎた62歳の時にもA級棋士でした。
将棋には順位戦といって、上から順番にA級・B級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組と5クラスあります。
そして、A級の優勝者が名人への挑戦権を得ることができるのです。
加藤一二三九段は、還暦を過ぎてもA級、つまり最上位のクラスに居続けたのです。
18歳でA級へ昇格し、A級の在籍期間は合計で驚異の36期になります。
何度かB級に降格したことはあるものの、何度もA級に返り咲いた不屈のメンタルは、誰もが参考にしたいものです。
伝説⑦史上最多対局数
加藤一二三九段は、将棋界の最多対局数の記録を持っています。
その対局数は驚異の2507局です。
2位の谷川浩司十七世名人は2295局なので、200局以上の差があります。
ただ、谷川浩司棋士は現役で活躍していますので、これから差は徐々に縮まって行くことでしょう。
ちなみに、3位は将棋界初の国民栄誉賞を受賞した羽生善治九段で、2208局も対局されています。
羽生善治九段のことを詳しく知りたい方は、こちらの記事で書いておりますので、気になる方はご覧ください。
なお、対局数の記録は、2023年6月9日時点での対局数になります。
ひふみんの仰天エピソード5選!
加藤一二三ことひふみんは、仰天エピソードや逸話がたくさんあります。
神武以来の天才と言われた将棋の達人ですが、思わず笑ってしまうような行動にたくさんの人から愛されています。
ここでは、そんなひふみんの仰天エピソードを5つご紹介します。
仰天エピソード①ひふみんアイ
ひふみんのエピソードと言えば、「ひふみんアイ」が有名です。
ひふみんアイとは、対局者である相手の後ろに回り込み、相手側から局面を考えることを言います。
ひふみんいわく、相手側から局面を見ることで、違った手が見えたりするようです。
将棋に限らず、視点を変えて物事を見ることは大切ですね。
仰天エピソード②エアコン戦争
「エアコン戦争」は、三浦棋士(当時五段)との対局で起こった出来事です。
ひふみんは、強いこだわりがあり、エアコンの設定温度24℃にするそうです。
暑がりなひふみんは、対局中にエアコンの温度を下げます。
ところが、三浦棋士は寒がりなため、エアコンの温度を上げたのです。
ひふみんが手番の時には、三浦棋士がエアコンの温度を上げ、三浦棋士が手番の時にはひふみんが温度を下げていました。
これが、有名な「エアコン争奪戦」です。
仰天エピソード③うな重
ひふみんは、対局中の食事に必ずうな重を頼みます。
その理由は、うな重の栄養と腹持ちがいいからだそうです。
かつては、天ぷら定食や鍋焼きうどんなどを頼んだこともあります。
しかし、天ぷら定食は頼んでも来るのに時間が掛かったり、鍋焼きうどんは熱々のため届いてすぐ食べられなかったりしたそうです。
その点、うな重はすぐ届きすぐ食べられます。
このような理由から、対局中の食事には必ずうな重を頼むことになったのです。
ちなみに、お昼もうな重を食べ、夜にもうな重を食べたこともあるそうです。
仰天エピソード④「あと何分?」
ひふみんは、対局中によく「あと何分?」と時計係に聞きます。
たまに聞くくらいならいいのですが、しきりに時間を気になってしまいます。
ある対局で、
加藤:「あと何分?」
時計係:「1分です」
加藤:「あと何分?」
時計係:「1分です」
加藤:「あと何分」
時計係:「1分だよ!!」
とひふみんのしつこさに時計係がキレたことがありました。
これには解説の棋士もおおいに笑っていたみたいです。
仰天エピソード⑤庭の滝を止めさせた
ひふみんは、対局中に「滝を止めさせた」ことがあります。
将棋のタイトル戦では、全国の旅館を会場に対局をします。
ひふみんは、その旅館の庭にある滝の音が気になり、旅館の責任者に「滝を止めてくれ」と言ったのです。
まさか、綺麗に手入れされた日本庭園の滝を止めてくれと言われたのは、後にも先にも加藤一二三だけでしょう。
加藤一二三伝説【まとめ】
ここではご紹介しきれませんでしたが、加藤一二三棋士には、まだまだエピソードがあります。
将棋界には、変人が多く、私たちを笑顔にさせてくれます。
また、プロ棋士の方々は礼儀正しく、優しい人が多いですので、他の棋士の方々もチェックしてみてください!
他にも将棋に関する記事を書いておりますので、気になる方はこちらからご覧ください。