「トーマス・エジソン」は皆さん知っていると思います。
では「ニコラ・テスラ」という人物は知っているでしょうか?
エジソンの影に隠れてあまり知っている人は多くないと思います。
ニコラ・テスラが交流電源を発明していなければ、今の私たちが安全に電気を使うことはできていないでしょう。
そして、ニコラ・テスラとエジソンは対立関係にありました。
エジソンが「直流」でテスラが「交流」でした。
今回は
- テスラとはどんな人なのか?
- 交流電流の発明
- テスラの生涯
- エジソンとの対立
などについて紹介していきたいと思います。
ニコラ・テスラってどんな人?
ニコラ・テスラは19世紀中紀中期から20世紀中紀にかけて活躍した発明家、電気技師です。
- 名前:ニコラ・テスラ
- 誕生日:1856年7月10日
- 没日:1943年1月7日(享年86歳)
- 出生地:オーストリア帝国(現クロアチア)
- 没地:アメリカ ニューヨーク市マンハッタン
- 出身大学:グラーツ工科大学、プラハ・カレル大学
- 主な功績:「交流電流システム」「誘導電動機」「テスラコイル」「テスラタービン」
ニコラ・テスラの年表
1856年(0歳):オーストリア帝国(現クロアチア)に次男として生まれる。
1861年(5歳):兄が死去する。そのころから幻覚を見るようになったとされる。
兄を上回る為勉強に励み、特に数学で才能を発揮する。
1875年(19歳):グラーツ工科大学へ入学。この頃に交流電流の着想を得た。
1878年(22歳):グラーツ工科大学を中退。
1880年(24歳):プラハ大学に留学。
1881年(25歳):ハンガリーのブタペスト国営電信局に就職。その後ゼネラルエレクトリック社で電気技師として働く。
1882年(26歳):「誘導電動機」の開発に成功。
1884年(28歳):渡米し、エジソン電灯会社で働く。
この時にテスラとエジソンは対立し、テスラは数カ月で退職することになった。
1887年(31歳):独立し、テスラ電灯社を設立。交流による電力事業で交流システムの特許を出願する。
1888年(32歳):誘導電動機についての論文を書く。ここからエジソンとの「電流戦争」へと発展する。
アメリカ電子工学会でデモンストレーションを行い、ジョージ・ウェスティングハウスから研究費100万ドルと特許使用料と提供される。
1891年(35歳):「テスラコイル(高圧変圧器」を発明する。
1893年(37歳):無線トランスミッターを発明する。
シカゴ万博会場内の電力供給に交流システムが採用される。
1905年(49歳):高さ57メートルの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」が完成するが、出資社JPモルガンとの関係が悪化し、研究が中止される。
1916年(60歳):米国電気工学協会エジソン勲章に選ばれるが辞退する。考えた結果翌年に受けることにした。
1943年(86歳):マンハッタンのニューヨーカーホテルで死去。
ニコラ・テスラの交流電流の発明
ニコラ・テスラの一番の発明は「交流電流の発電装置」でしょう。
さらに、テスラは交流電流による送電に成功し、実用化をしました。
これまではエジソンが発明した直流電流が主流でした。
直流電流は同じ電圧を維持したまま一定方向に流れます。
乾電池などが直流です。
一方交流電流は、電気の流れや電圧が変化します。
家庭用コンセントなどな交流電流で供給されています。
テスラは交流電流だとコストもかからず、電圧も変えることができるので、使う人にとって扱いやすいのです。
エジソンが直流でテスラが交流を推奨する。
そして、交流電流の安全性や利便性が認められ、テスラがこの戦いを制しました。
テスラが実用化をしてくれた交流電流は今の私たちの暮らしに安全な明かりを届けてくれているのです。
二コラ・テスラの生涯
ニコラ・テスラはオーストリア帝国(現在のクロアチア)で、父ミルーティンと母ドゥカとの間に生まれました。
テスラには兄1人と姉2人がおり、後に妹もでき4人兄妹でした。
5歳の頃に兄を失くし、そのころから頻繁に幻覚を見るようになったと言われています。
テスラの兄は神童と呼ばれるほどの天才だったらしく、テスラは兄を越えるために勉強に励むのでした。
そんなテスラですが、精神疾患を患っており、幻覚の他にも妄想や強迫観念に苦しめられていました。
また、大人になったテスラは、病的ともいえる潔癖症でこだわりがものすごく強い変わり者でした。
テスラは、8つの言語を話せ、哲学や音楽の才能までありました。
その中でも特に数学の才能があり、その才能を活かしたおかげで、交流システムなど様々な発明をする発明家になりました。
エジソンとの対立
テスラは渡米し、エジソンのいる会社「エジソン電灯会社」に就職しました。
エジソン電灯会社では、直流電流を推していたのですが、テスラは直流電流より無駄がない、交流電流を提案しました。
しかし、エジソンはテスラの提案を却下し、自身が実用化に成功した直流電流にこだわりました。
そして、エジソンは工場の機械を交流方式で稼働させれたら5万ドル払うと約束しました。
そしてテスラは交流方式で工場の稼働に成功しましたし、エジソンに約束の5万ドルを請求しました。
ところがエジソンは「冗談だった」と言って支払いを拒否します。
これに怒ったテスラはエジソン電灯会社を退職し、独立するのでした。
ここからテスラとエジソンの「電流戦争」が始まるのです。
テスラは独立後、徐々に交流電流派を増やしていきましたが、エジソンがこれを邪魔します。
エジソンは交流電流は危険だと広める活動をしました。
死刑用の電気椅子に交流電流を採用させようとしました。
それに対しテスラは、100万ボルトの交流を自分の体に通して、安全性をアピールしました。
この戦いは「電流戦争」として何年も続きました。
そして、シカゴ万博やナイアガラの滝での発電などに交流電流が使われると、一気に交流電流が広まっていき、テスラの交流電流が今の主流になりました
そんなニコラ・テスラと対立したエジソンについて詳しく知りたい人は、こちらの記事もご覧ください。
まとめ
今回はニコラ・テスラがどんな人なのか?
生涯やどんな功績を残したのか?
また、エジソンとの対立についても紹介しました。
ニコラ・テスラがエジソンと戦いし、勝利したおかげで今の私たちは安全に電気を使えています。
こうした偉人がいて、今の暮らしがあることを忘れずに生きていきたいですね!
また、他にも偉人について紹介しておりますので、気になる方はご覧ください。
最後までご覧頂きありがとうございました!